日本エピグラム

日本エピグラムは警句・寸鉄詩の啓蒙・頒布に努めています。

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エピグラムとは

エピグラムとは

エピグラムについて調べると、次のような定義がなされているようです。

エピグラム(警句、寸鉄詩、epigram)は、結末にひねりを利かせるか、簡潔でウィットのある主張を伴う短い詩。語源はギリシャ語のepi-gramma(〜に書かれた)で、文学的修辞技法として長い歴史を持つ。
(出典:wikipedia「エピグラム」より)

難しいことのようですが、日本エピグラムは簡単に「エピグラムとは便所の落書き」と考えています。書き人が己の素性を特に明かす理由もなく、また誰に宛てるともなく、一銭の徳にもならない上で、積極的な表現行為を行うという、状況的な点を考えた場合、かなり語弊はありますが、あながち間違いとは言えません。ちなみに、ああいう落書きを目にしますと、なかなか気の利いたものもあるものです。70年代イギリスにおいて、駅の壁に書かれていた「Clapton is GOD」という落書きは、のちのちエリッククラプトンのキャッチフレーズとして全世界で使用されました。

エピグラムの歴史

歴史を紐解くと、エピグラムは古代ギリシアから連綿と続く文芸形式であることがわかります。当時のエピグラムは神殿へ奉納する石像の碑文や墓碑に刻む詞がほとんどで、それらは現在では「エピグラフ」と呼ばれジャンル的に「エピグラム」と一線を画していますが、その昔は明確な区別がなかったようです。

古代ローマ時代になり、エピグラムは世情風刺色が濃くなり、同時に安易なレトリックに偏り、やがて下品な言葉遊びになりさがりました。芸術は、成熟した文明ではえてして堕落しがちです。つまり、成熟したローマ社会においてエピグラムは低俗娯楽になりさがってしまったのです。実際に残されているエピグラムを紐解いても、クオリティーの高いものは少ないといわれています。当時の言語や大衆の教養を考えればしかたがありません。とはいえ、エピグラムそのものは相当な人気を博した娯楽だったといわれています。
たとえばこんなものが好評だったそうです。

 驚いた。壁よ、おまえはよくぞ壊れなかった
 こんなに多くの詩人たちのうっとうしい詩に持ちこたえて

ラテン語文化が欧州を席巻していた間、文芸は叙事詩・叙情詩を中心とした韻文形式だけでなく、思想や寓話といった文学的な領域にまで拡大していきました。おそらくそこには言語の発展もあったかもしれません。そういう流れの中で、エピグラムは散文詩的なポジションとなり、文学のメインのスポットライトから徐々に外れてゆきました。しかし、インパクトと機知に富むエピグラムは、さまざまな芸術に挿入されるにあたり、重要性を増したのも事実です。書物の巻頭辞や演劇の口上の中には、前時代と比べればずっと芸術的なエピグラムが残されています。

実存主義哲学がスタートし、それからというもの、人間と文学の距離はほぼ同体といえるほど近接しました。このころから、エピグラムは単なる「気の利いた」「ジョークあふれる」だけのものではなく、格言的な要素も持ち込まれてきたようです。
WW2を経、興味深いことに、エピグラムは共産主義圏と資本主義圏それぞれにおいて独自の発展をみせました。
共産主義圏では命懸けの政治風刺や貧困哀歌的な傾向が強まりました。秀逸なのがソビエトにおけるアネクドートや一連の「エレバン放送」ジョークです。
かたや資本主義圏内では商業における広告手法の導入が顕著となり、広告文案(コピーライティング)がさかんに行われるようになりました。広告文案は消費者の心理をくすぐるという役割の中で時代を的確に掴み取るため、いわゆる「名コピー」はそのまま社会と時代をあらわす言葉として広くいきわたりました。

日本におけるエピグラム

それでは我が国のエピグラムは、どのようなものでしょう。
我が国のエピグラムにも、世界史同様時代による変遷が見受けられますが、大きく異なっている点は、そこにわび・さび・みやび・いきといった日本独自の情緒が含まれている点です。また、万葉の昔から和歌という世界的にもごく短い定型詩の形式があり、言葉の選定に対する執着心が強いのも特徴です。
和歌では恋慕・郷愁・哀愁といった心持ちを如何に効果的に表現するかが最重要視され、そこにはエピグラムの条件の一つである「警句」としての意味合いはあまりありませんでしたが、時代がくだり、日記文学が興りますと、警句とまではいかずとも、教訓的な内容が多くなってきました。

 あだし野の露消ゆるときなく
 鳥部山の煙立ち去らでのみ
 住み果つるならひならば
 いかにもののあはれもなからん。
 世は定めなきこそ、いみじけれ。 (「徒然草」あだし野の露)

▲仏教哲学と随想が相まった形式が多くの隠遁者によって著されました。

 祇園精舎の鐘の声
 諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色
 盛者必衰の理をあらわす
 おごれる人も久しからず
 ただ春の世の夢のごとし
 たけき者も遂には滅びぬ
 偏に風の前の塵に同じ (「平家物語」巻第一)

▲一方で叙事詩の中にも無常観をともなった警句風のテキストが見受けられます。

江戸時代になり、徳川三〇〇年の安定した世情により庶民文化が高いクオリティーをおびていきます。狂歌や都々逸といった定型詩スタイルは謡いを伴って浮世の儚さを表現するに最適な媒体とされ、大衆に歓迎されました。時に大衆の美意識は、上方では「粋(すい)」関東では「意気(いき)」と呼ばれ、ある程度確固たるスタイルを築き上げており、そのため文化の成熟スピードも速やかでした。
「いきの構造」(九鬼周造)によると、「いき」は「媚態」「意気地」「諦観」の三つの様態によって完成する美意識だそうです。

 恋に焦がれて 鳴く蝉よりも  鳴かぬ蛍が 身を焦がす

この都々逸は一見エピグラムと呼ぶにはふさわしくなさそうですが、「いき」の三要素の融合により、独りの人間の複雑な人生観が見事に表現されており、聞き手への浸透率は並大抵ではありません。このように淡く仄かでありながら聞き手に感慨をもよおす(江戸では「乙(オツ)」と呼ぶ)文芸文化は、日本独自のエピグラムのあけぼのといっても良いでしょう。
しかしながら、太平洋戦争以降、冷戦構造の中におかれた日本はアメリカナイズされ、資本主義圏内に顕著に発生した商業主義的エピグラム(つまり広告文案)によって短期間で汚染されてしまい、粋や意気、雅・わび・さびといった情緒のほとんどが、刺激的表現の氾濫にともない淘汰されてしまいました。こんにちでは一部の好事家の間だけで、伝統芸能の踏襲のような形で見受けられる程度となっています。

エピグラムは文芸か否か

現在、日本でもっともポピュラーなエピグラマーは、あいだみつを氏であるといえるでしょう。
日本中のさまざまな場所(たとえばカーショップのトイレや事務デスクのPCの上、あるいはカフェの出窓のあたり)で、氏の揮毫したエピグラムを目にすることができます。
しかし、氏の作品は文壇においてきわめて低い評価しかうけておらず、いわゆる「プロ作家」と呼ばれるお歴々の方々からは「文芸とはこんなもんじゃないよ」がちの意見しか聞こえてきません。それじゃあ文芸というのはいったいどういうものなのかと逆に尋ねてみたくなるような気もしますが、文壇というところは、そういうところなのでしょう。しかし事実、氏の作品を知らない、見たことがないという人が、世間にいったいどれだけいるでしょうか。

 つまづいたって
 いいじゃないか
 にんげんだもの(相田みつを『にんげんだもの』)

多くの人々が共感し、教えられ、癒されているという事実は、どれだけ文壇が批判しても、消し去れない真実です。そして氏の作品の驚くほどの流通量は、作品に対する社会的ニーズが既存文壇のそれよりも格段に大きいという証左でもあります。また、文壇の評価と社会的需要の間のこの大きなギャップは、ひとえにエピグラムという表現形式が、今でこそ所在を持たぬ文芸の鬼子でありながら、実際には文芸のあらゆるジャンルのエッセンスをすべて含有している根幹形式だからこそ生じる必然であるといえます。つまり、商業文芸の隆盛によりその権威づけを行っている文壇にとって、エピグラムは「いまさら何さ」というべき文芸形式であるわけです。その苦悩は「カラマーゾフの兄弟」における大審問官のそれとなんら変わりません。

以上、エピグラムについていくらかおわかりいただけたと思います。
誰もが良いエピグラムを書けるわけではありませんが、誰もが良いエピグラムを書けるだけの人生を送っているはずです。
わたしたちがエピグラムを通じて社会を見、自分を見ることができれば、それだけで足腰の定まった毎日を過ごすことができるでしょう。

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