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The Kingdom of Insufficient 寸足らず王国の建国史

The Kingdom of Insufficientの建国の歴史は以下の4部構成になっています。

1.青天の霹靂

紀元前の昔、ローマが強大な勢力で西アジアにまで勢力を及ぼそうとしていたころ、インドではすでに仏教が形になろうとしていました。仏陀の教えはそのころまでは、まだ宗教というよりも哲学に近く、その不足している分を補うために、インドで永らく信じられていたバラモンの教えが流れ込んできました。この時から仏教には堕落がはじまったのだと、若きThe Kingdom of Insufficient国王は胸を痛めました。世界情勢が高まる中で、ひとつの教えというものが、邪推や迎合に偏らず、芯を持って守られるべきだという考え方は、王国の形成のみならず、あらゆる「ことをなそう」という人の胸にあるべきだと考えたそうです。

・・・なにが「晴天の霹靂」なのでしょうか?

2.出発点

国王は迷いました。なんでもことをなすということは、大変な努力と信念が必要だ。才能は、その次なのだ、と。そこで国王は能力はおいといて、とにかく強い精神力を得ようと考えます。リーダがタフであれば、人はついてくる。ついてきた人の中に優秀な人材があれば、それを才能として活かせばいい。しかし、実際のところ、自分のもとに優秀な人間が近づいてきたら、妬みがおこるのは人の常です。こういったいかにも人間じみた心のアダを克服するにはどうしたらよいのかと考えた国王は、自虐と皮肉というアンタッチャブルな片道列車の世界にのりだすことを決心しました。

・・・大丈夫なのでしょうか?

3.挫折

どんなに不細工でも「馬子にも衣装」「鬼も十八」といいますが、どうしようもなく笑顔のまずい人っていますよね。国王は自虐と皮肉の世界、すなわち完全なプロレタリアートの道に没頭し、まさに「まずい笑顔」の頭取みたいになってしまいました。このままではいけないと思った国王は、とにかく己のなすべきことに勤しもうと、暇があったら悩むようになりました。しかし、己が何をなすべきなのか、どれだけ考えてもわかりません。しかし石の上にも3年、ようやくたどりついた結論は「自分が何かのために生まれてきたとしよう。それならば、それをやるだけのことだ。でもそれがもし、自分のやりたくないことだったら?」。国王は、実は自分が何もやりたくないということに気づきました。するとその途端、大袈裟に言えば、指先ひとつ動かすことができなくなってしまいました。

・・・笑顔のまずさは大袈裟ではないですよね?

4.建国

「実存は本質に先立つ」何かの本の受け売りで国王はしばしばこの言葉を言います。しかし、受け売りであっても核心をもつ言葉というものは、やはり言霊というべき力を有しているものです。国王は本質の先にあるものを捜し求めることにしました。もうそのころには、一時は痛風やリュウマチを疑った指先も健全に動くようになっており、プロレタリアも辞めて、一時的にですがいろいろ考える時間がありました。とはいえ、探すといったってどこをどう探していいのかわからず、そのうち貯金も尽き、また元のようにプロレタリアに帰っていったのでした。今度のプロレタリアは肌にあったのか長く続き、このまま老いさらばえてもいいかなと思うようになったころ、インターネットで「シーランド公国」の記事を読みました。
「こういうのはおもしろいかもしれない。
 さすがに海上基地は難しいけれど、ネットの世界でなら。」

こうしてThe Kingdom of Insufficientの建国に至ったのです。

・・・このページ、最後の4行くらいだけでよかったのでは?

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